台湾・四日目
2003年3月20日朝の天気はどんより、しとしと・・・。(完全に諦め
昨晩は遅く、士林に住む親戚の叔母さんに会いに行ったのでした。
台湾の女性はとってもハード&パワフル。
朝から晩まで仕事をして(叔母さんはYAMAHAで20年間ピアノの先生をやってる)、家事をして、子守をする。
全てが夫婦の共同作業という慣習の国だから可能と言えるのかも知れない。
『好きこそ物の上手なれ』という事を何度も言われた。
「好きだからやってるのよ。疲れる事なんか無いわ。時間は幾等あっても足りないけど!」と笑う。脱帽ものである。
叔母さんの韓国語は早い。メチャクチャ早い。
時間が勿体無いから、寸暇を惜しんで喋ってでもいるようにガーッと捲し立てられる。
従弟君は朝鮮大学卒業なんだからもっと喋れなくちゃ駄目!と怒られていた。笑
言葉の問題。
私と従弟君がナナやへへと話す時は、韓国語オンリー(しかしうちらは北の言葉、ナナやへへは南の言葉なので時たま通じない事もあり。彼女達は日本語は全く出来ない)、ナナとへへが話す時は、中国語オンリー(韓国に住んでいたとは言え中国人なので当り前)、私と従弟君が話す時は韓国語も混じるとは言えやっぱり一番話し易い日本語、と一見すると訳が分らない感じで、皆会話していました。
店に入って中国人に何か聞きたい時は、まずは従弟君と私で「どうするよ?」と日本語で相談し、次にナナ又はへへに「〜したいんだけど、〜して下さいって言ってくれる?」と韓国語で聞き、それを彼女らが店の主に中国語で伝える、という構図である。
ああー、面倒臭ぇ。
問題発生するのは、通訳してくれるナナ達が居ない時。
相手が中国語しか分らず(英語も×な人多い)、こちらも日本語か韓国語しか分らず、こうなると全く意思の疎通が図れないのである。
スニーカーひとつ買うのにえらい手間取った。
そう、今日も朝からナナが手配してくれたツアーに参加したのであった。
バスに乗ってガイド氏に挨拶したのが朝の8時過ぎだったか。
「あと15分で戦争が始まるぜぇー!ウッホー」と叫ぶ陽気なガイドの言葉に
「はッ?マジで?!」耳を疑う我ら。
ナナの家で毎日ニュースは観てたけど、ちんぷんかんぷんの中国語放送を前に、全く状況把握をしていなかった模様。
「ちょっとちょっと、すげーやばいじゃん・・・しかもこの人達(ガイド)何でこんなに陽気なんだろう・・・」
と不安を隠し切れずにツアー出発。
別に街中で反戦デモやってる様子も無い。
日本以上に平和な国かも知れんな、此処は。。
途中、この陽気なガイド、ミンセンペールーだっけか、新宿の歌舞伎町や札幌のススキノの様な歓楽街を通った時、
「ココ男の天国!楽しいね!」とやたらハイ。。
釣られて「おお!行きてぇ!」と俄然やる気(何のだよ)の従弟君。
あのーおまえら、戦争ですよ・・・。
雨の都・基隆にて、平和の象徴である象を拝む。
ああ戦争の火蓋が切って落とされたその時に、平和の象徴を前に我何を思う・・・切ない。
次に駱駝岩(通称Qeen’s head)へ。
最初何のことやら分らなかった私達だが、近くまで行って見ると、なるほどね〜と合点が行く。
でも暴風雨に曝されて、あと5年程で無くなってしまうらしい。
午前の最後は工芸品店へ、と言うのでまたかー?という予感的中、二日目と同じ店だよ(涙
またもや何か買わされそうな予感、もとい悪寒をひしひしと感じたので、目に付いたものの中国語を片っ端からおばちゃんに聞いて勉強する、という先制攻撃を従弟君が仕掛け、これが功を奏する。
2日目にうちらが高い買物をした御蔭で、ニコニコ顔で中国語を教えてくれたおばちゃん・・・有難うよ。
昼食時に一旦バスを下ろされたが、何と其処は2日目に来たコーヒーショップでねぇか!
仕方ないのでランチ。コーヒー以外は不味かった(涙
昼食を終えて戻ったら、あの陽気なガイドが居ない。
さてはうちらを騙したな、いやミンセンペールーへ行ったな・・・とあれこれ話してると、やっと別のガイド(二日目のガイド)到着。
今度は無口なフィリピン人夫婦が同乗。
烏来(中国語で温泉の意らしい)という処まで連れられて、滝を見、爆走するトロッコに乗せられ、踊り子の舞台を鑑賞。
と、最後に舞台に引っ張られ強制的に舞を舞わされる。
一つ言っておくと、その時の私は体調の悪さと睡眠不足とが相俟って、とても踊る気分じゃなかったのよー。
しかし実は踊りたがっていた従弟君は、付添いの中国人に間違えられ(此処へ来て判明したが、従弟君は中国人顔らしい)、誰も舞台に引っ張ってくれなかった罠・・・。
本人、後々まで気にしていた様子。(プ
その後・・・バスで来た道を戻るも、日本の様には道路整備がされていなく、只でさえ車酔いし易い体質の私は、揺れる車体に何時間も座り続け、気持悪さ加減がMAXに。
公館で観光したい、と伝えてあったので、ガイド氏にはそこで下ろして貰ってツアーを終了。
従弟君と、話のネタに台湾大学(注;台湾の最高学府。日本でいう東大)でも見学するか、と立ち寄ったのが運のツキ。
台湾大学に足を踏み入れ5歩位進んだところで・・・人生最大の汚点!突然の嘔吐感に襲われ、吐いた。。
警備員がすっ飛んで来たので、本能的にヤバイ!と感じたうちらは、兎にも角にも外へ出なければ、と再び門の外へ(5歩)。
そこで第2発。吐いた。。
うわーん御免なさい、台湾大学!
その時は何より自分がびっくりしたし、まじで死ぬかもと思った位辛かったけど、冷静に考えたら変な奴がいきなり大学に入った瞬間吐いて、出た瞬間吐いて、一体全体何なんだよオマエラ!状態だよな。
本当にまじでスミマセン。最高学府を汚してスミマセン。この場を借りて深く謝罪します。(誰も見ねぇ…
唯一の救いは、雨が降っていた事・・・全て洗い流してくれますように。(汚い話で恐縮です)
フラフラと喫茶店に入り、従弟君にお茶を御願いして席に着いたつもりが、何を思ったかケーキ買って来てるし!しかもテイクアウトだし!
「俺の交渉能力ではこれが限界だった」って、あんた限界にもホドがあるよ。
でも異国の地で体調を崩して心細かった私には、こんな従弟君でも居てくれて良かったと「初めて」思った。。
(その後、従弟君のメモ帳には「胡桃姉、今世紀最大の車酔い at台湾大学」と書かれる)
曰く「俺は台湾ぶらり旅、胡桃姉は台湾げろり旅」。
あんまりだ。。
そんな状態でも、其処で休んだのはたったの15分。
時間を無駄にしちゃおれねぇ!とショッピングへ繰り出す。
昨日まで散々私の買物に付合って貰ったので、今回は従弟君の買物に協力してあげることにする。
でも「試着したい」も「安くして」も「これが買いたい」も、英語で何も言えない従弟君。
一応、これでも10日に大学卒業したんだっけか・・・。(暗澹
そんなこんなで彼はスニーカーを2足、私もプーマの白スニーカーを可也安くゲット。
ナナの家に帰った頃には、もう何をする気力も無く。。
ナナも疲れていて、会社から帰って小一時間寝ていたらしい。
台湾大学での一件を話すと爆笑していた。わ、笑えねぇ。
それから私は何も食べる気になれず、夜の9時半まで死んだ様に寝、お土産のお茶を買う為&足裏マッサージの為、3人で再び夜の街へ。
お茶屋を出て歩いていると、現地の男(むっつりスケベ風味)がナナに声を掛けて来た。
直感でナンパだな、と思ったら案の定!こいつめー
言葉は分らなくても、家は何処ら辺?と聞いているのは分る。それに対して出鱈目を教えるナナ。>ナイス
(後でナナは「キモイ」と言っていた。やーい)
ナナお勧めのお菓子をあれこれ買い、次は、待ってました足裏マッサージ!
だけの筈が、兎に角身体がダルかったので、全身マッサージも再びやって貰うことに。
こ、これが・・・
痛ーーーーーーーーーーーい!!半端無い!!!
骨、折れるんじゃねぇ??くらいの勢いで痛い!!!
店内に響き渡る私の絶叫・・・!それだけ凝りが激しいという事。
ずっと通訳しながら付添ってくれたナナも、笑いながら
「胡桃、我慢だよ。我慢」と励ましてくれる。
御蔭か、終わった後はすっきり爽快。
流石は中国4千年の歴史だけあって、いい仕事してくれるぜ。
「頭が軽くなったみたい」と言ったら、爆笑される。え?
足裏は、生まれて初めて挑戦した従弟君とナナには相当痛かったらしく、悶絶の表情を浮かべていた。
私は全身マッサージで鍛えられたのか、足裏は日本でも毎月行ってるからなのか、気持ち良さのが大きかった。
でも悪い所はバッチリ!指摘される。
胃腸・心臓(低血圧ってことも)・膀胱・腰などで、生理不順も足だけで分かっちゃったらしいよ。
あと子供が産めないかも知れないとか。まじですか。
従弟君は肝臓と腰が弱いらしい。
初めは「痛そうだから嫌だ」と言っていたナナも、終わった後の爽快感に病み付きになったらしく、また行かなきゃ!と喜んでいた。
この日も色々あったが、最後のマッサージの御蔭でぐっすり眠る事が出来た。
昨晩は遅く、士林に住む親戚の叔母さんに会いに行ったのでした。
台湾の女性はとってもハード&パワフル。
朝から晩まで仕事をして(叔母さんはYAMAHAで20年間ピアノの先生をやってる)、家事をして、子守をする。
全てが夫婦の共同作業という慣習の国だから可能と言えるのかも知れない。
『好きこそ物の上手なれ』という事を何度も言われた。
「好きだからやってるのよ。疲れる事なんか無いわ。時間は幾等あっても足りないけど!」と笑う。脱帽ものである。
叔母さんの韓国語は早い。メチャクチャ早い。
時間が勿体無いから、寸暇を惜しんで喋ってでもいるようにガーッと捲し立てられる。
従弟君は朝鮮大学卒業なんだからもっと喋れなくちゃ駄目!と怒られていた。笑
言葉の問題。
私と従弟君がナナやへへと話す時は、韓国語オンリー(しかしうちらは北の言葉、ナナやへへは南の言葉なので時たま通じない事もあり。彼女達は日本語は全く出来ない)、ナナとへへが話す時は、中国語オンリー(韓国に住んでいたとは言え中国人なので当り前)、私と従弟君が話す時は韓国語も混じるとは言えやっぱり一番話し易い日本語、と一見すると訳が分らない感じで、皆会話していました。
店に入って中国人に何か聞きたい時は、まずは従弟君と私で「どうするよ?」と日本語で相談し、次にナナ又はへへに「〜したいんだけど、〜して下さいって言ってくれる?」と韓国語で聞き、それを彼女らが店の主に中国語で伝える、という構図である。
ああー、面倒臭ぇ。
問題発生するのは、通訳してくれるナナ達が居ない時。
相手が中国語しか分らず(英語も×な人多い)、こちらも日本語か韓国語しか分らず、こうなると全く意思の疎通が図れないのである。
スニーカーひとつ買うのにえらい手間取った。
そう、今日も朝からナナが手配してくれたツアーに参加したのであった。
バスに乗ってガイド氏に挨拶したのが朝の8時過ぎだったか。
「あと15分で戦争が始まるぜぇー!ウッホー」と叫ぶ陽気なガイドの言葉に
「はッ?マジで?!」耳を疑う我ら。
ナナの家で毎日ニュースは観てたけど、ちんぷんかんぷんの中国語放送を前に、全く状況把握をしていなかった模様。
「ちょっとちょっと、すげーやばいじゃん・・・しかもこの人達(ガイド)何でこんなに陽気なんだろう・・・」
と不安を隠し切れずにツアー出発。
別に街中で反戦デモやってる様子も無い。
日本以上に平和な国かも知れんな、此処は。。
途中、この陽気なガイド、ミンセンペールーだっけか、新宿の歌舞伎町や札幌のススキノの様な歓楽街を通った時、
「ココ男の天国!楽しいね!」とやたらハイ。。
釣られて「おお!行きてぇ!」と俄然やる気(何のだよ)の従弟君。
あのーおまえら、戦争ですよ・・・。
雨の都・基隆にて、平和の象徴である象を拝む。
ああ戦争の火蓋が切って落とされたその時に、平和の象徴を前に我何を思う・・・切ない。
次に駱駝岩(通称Qeen’s head)へ。
最初何のことやら分らなかった私達だが、近くまで行って見ると、なるほどね〜と合点が行く。
でも暴風雨に曝されて、あと5年程で無くなってしまうらしい。
午前の最後は工芸品店へ、と言うのでまたかー?という予感的中、二日目と同じ店だよ(涙
またもや何か買わされそうな予感、もとい悪寒をひしひしと感じたので、目に付いたものの中国語を片っ端からおばちゃんに聞いて勉強する、という先制攻撃を従弟君が仕掛け、これが功を奏する。
2日目にうちらが高い買物をした御蔭で、ニコニコ顔で中国語を教えてくれたおばちゃん・・・有難うよ。
昼食時に一旦バスを下ろされたが、何と其処は2日目に来たコーヒーショップでねぇか!
仕方ないのでランチ。コーヒー以外は不味かった(涙
昼食を終えて戻ったら、あの陽気なガイドが居ない。
さてはうちらを騙したな、いやミンセンペールーへ行ったな・・・とあれこれ話してると、やっと別のガイド(二日目のガイド)到着。
今度は無口なフィリピン人夫婦が同乗。
烏来(中国語で温泉の意らしい)という処まで連れられて、滝を見、爆走するトロッコに乗せられ、踊り子の舞台を鑑賞。
と、最後に舞台に引っ張られ強制的に舞を舞わされる。
一つ言っておくと、その時の私は体調の悪さと睡眠不足とが相俟って、とても踊る気分じゃなかったのよー。
しかし実は踊りたがっていた従弟君は、付添いの中国人に間違えられ(此処へ来て判明したが、従弟君は中国人顔らしい)、誰も舞台に引っ張ってくれなかった罠・・・。
本人、後々まで気にしていた様子。(プ
その後・・・バスで来た道を戻るも、日本の様には道路整備がされていなく、只でさえ車酔いし易い体質の私は、揺れる車体に何時間も座り続け、気持悪さ加減がMAXに。
公館で観光したい、と伝えてあったので、ガイド氏にはそこで下ろして貰ってツアーを終了。
従弟君と、話のネタに台湾大学(注;台湾の最高学府。日本でいう東大)でも見学するか、と立ち寄ったのが運のツキ。
台湾大学に足を踏み入れ5歩位進んだところで・・・人生最大の汚点!突然の嘔吐感に襲われ、吐いた。。
警備員がすっ飛んで来たので、本能的にヤバイ!と感じたうちらは、兎にも角にも外へ出なければ、と再び門の外へ(5歩)。
そこで第2発。吐いた。。
うわーん御免なさい、台湾大学!
その時は何より自分がびっくりしたし、まじで死ぬかもと思った位辛かったけど、冷静に考えたら変な奴がいきなり大学に入った瞬間吐いて、出た瞬間吐いて、一体全体何なんだよオマエラ!状態だよな。
本当にまじでスミマセン。最高学府を汚してスミマセン。この場を借りて深く謝罪します。(誰も見ねぇ…
唯一の救いは、雨が降っていた事・・・全て洗い流してくれますように。(汚い話で恐縮です)
フラフラと喫茶店に入り、従弟君にお茶を御願いして席に着いたつもりが、何を思ったかケーキ買って来てるし!しかもテイクアウトだし!
「俺の交渉能力ではこれが限界だった」って、あんた限界にもホドがあるよ。
でも異国の地で体調を崩して心細かった私には、こんな従弟君でも居てくれて良かったと「初めて」思った。。
(その後、従弟君のメモ帳には「胡桃姉、今世紀最大の車酔い at台湾大学」と書かれる)
曰く「俺は台湾ぶらり旅、胡桃姉は台湾げろり旅」。
あんまりだ。。
そんな状態でも、其処で休んだのはたったの15分。
時間を無駄にしちゃおれねぇ!とショッピングへ繰り出す。
昨日まで散々私の買物に付合って貰ったので、今回は従弟君の買物に協力してあげることにする。
でも「試着したい」も「安くして」も「これが買いたい」も、英語で何も言えない従弟君。
一応、これでも10日に大学卒業したんだっけか・・・。(暗澹
そんなこんなで彼はスニーカーを2足、私もプーマの白スニーカーを可也安くゲット。
ナナの家に帰った頃には、もう何をする気力も無く。。
ナナも疲れていて、会社から帰って小一時間寝ていたらしい。
台湾大学での一件を話すと爆笑していた。わ、笑えねぇ。
それから私は何も食べる気になれず、夜の9時半まで死んだ様に寝、お土産のお茶を買う為&足裏マッサージの為、3人で再び夜の街へ。
お茶屋を出て歩いていると、現地の男(むっつりスケベ風味)がナナに声を掛けて来た。
直感でナンパだな、と思ったら案の定!こいつめー
言葉は分らなくても、家は何処ら辺?と聞いているのは分る。それに対して出鱈目を教えるナナ。>ナイス
(後でナナは「キモイ」と言っていた。やーい)
ナナお勧めのお菓子をあれこれ買い、次は、待ってました足裏マッサージ!
だけの筈が、兎に角身体がダルかったので、全身マッサージも再びやって貰うことに。
こ、これが・・・
痛ーーーーーーーーーーーい!!半端無い!!!
骨、折れるんじゃねぇ??くらいの勢いで痛い!!!
店内に響き渡る私の絶叫・・・!それだけ凝りが激しいという事。
ずっと通訳しながら付添ってくれたナナも、笑いながら
「胡桃、我慢だよ。我慢」と励ましてくれる。
御蔭か、終わった後はすっきり爽快。
流石は中国4千年の歴史だけあって、いい仕事してくれるぜ。
「頭が軽くなったみたい」と言ったら、爆笑される。え?
足裏は、生まれて初めて挑戦した従弟君とナナには相当痛かったらしく、悶絶の表情を浮かべていた。
私は全身マッサージで鍛えられたのか、足裏は日本でも毎月行ってるからなのか、気持ち良さのが大きかった。
でも悪い所はバッチリ!指摘される。
胃腸・心臓(低血圧ってことも)・膀胱・腰などで、生理不順も足だけで分かっちゃったらしいよ。
あと子供が産めないかも知れないとか。まじですか。
従弟君は肝臓と腰が弱いらしい。
初めは「痛そうだから嫌だ」と言っていたナナも、終わった後の爽快感に病み付きになったらしく、また行かなきゃ!と喜んでいた。
この日も色々あったが、最後のマッサージの御蔭でぐっすり眠る事が出来た。
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