退院式。
2003年3月15日もとい終了式。
涙、涙の感動のフィナーレ・・・。な、訳は無い。
小、中、高、大、院。と、人生で既に5度目の卒業式を迎えた。
が、いつもの事ながら式典自体には全く何一つ興味が持てない私である。
「グローバルな視野を持った人間に・・・」「社会に出たらまずは忍耐力が要される・・・」「人生とは失敗の連続である・・・」
なんて別に長々と語る程のものかいね。
と、思ってしまう私がきっとヒネくれているのでしょう。
皆さん、式典には静粛に参加しましょう。
私だって式典中はそれこそ静かに・・・今まで寝なかった事が無い。
因みに私の周囲の女子学生達は「マジ超ダルイんだけどー」「お腹空いたぁ」を連呼していたし、綾の周りに座った男子学生軍は、「謝恩会まで何するよ」「ピンサロ行くか?卒業式だからソープもいいぜ」という話を延々としていたらしい。
先生。矢張り現代の若者には忍耐力を説く事が必要不可欠な様ですね。聞き入れるかどうかは別として。
その後の院の謝恩会は。法学研究科に限っては、教職員食堂にて立食パーティ。
一名自主退学した者を除いては、二十数名全員無事終了。
その中でも、私と年齢差二倍の友人のT氏は総代、二年前経営学修士号をも取得し(ダブルマスター)今年CPA(米国公認会計士)の資格を取ったO氏は当時、経営学の総代、刑事法専攻のK氏は学部時代の総代、と「総代」と名の付くものに全く縁の無い私であるが、同期には優秀な人が多かった。
K氏は昨日、某有名企業・希望部署への就職及び配属が無事決まり、決して自分からは目立とうとしない彼に代わって、まるで自分の事の様に皆に自慢していた私。
だって嬉しいよー。K氏には散々世話になったし、彼の人柄の良さ・能力の高さには本当に感心させられっ放しでしたから。寧ろ、尊敬。
尤も、悔しいのでそんな素振は彼には見せませんが(笑
それから大学院は指導教官で決まる。というのを肌身に感じた二年間でもあった。
入学当時はゼミ生が私一人、という境遇を不安に感じない事も無かったが、二年間の自由な研究生活はこの指導教授あってこそ。
心からの御礼を申上げたい。
(こんな場で言ってもどうしようもないが、一応ね)
知らずに他のトンデモ指導教官に付いた、不遇な同期の話を聞くにつれ、つくづくあの教授で良かったと思わずにいられない。適度に放任主義だったのが私には幸いしたし。
先生と二人でデジカメで画像を撮り捲り。
此処にUP出来ないのが残念無念。
その後の飲み会は史上最高の人数で。個人主義な院生同士で10人規模以上の飲みは、殆ど有得ない感じです。
其処で皆の今後の進路を一人ずつ発表して行ったり。驚きの進路もあり。
その年で親の脛齧って生きて行くのって、人間的にどうなんだろう・・・という私の苦手な30男が居るのだが、齧れるものなら骨の髄までも!という価値観の人だって居る訳だし、まぁ私にはどうでもいいや。
兎に角、私は今年中には自立、宣言をした。
流石に今年は25に成りますから。
それなりに、色々な人生を送って来て、挫折も苦労も味わって成人した者同士が、色々な希望を持って入学し、二年間専門の研究をし、また色々な希望を持って去って行く。
それだけのこと。
研究活動自体はどちらかと言うと辛い事の方が多かった気がする。けれど、自分の勉強不足を思い知らされたし、ライバルに刺激され、多少の弱点強化は図れた事と思うし、何より良い恩師と仲間に出逢えたこと。
楽しかったし、幸せだったなぁ。二年間。
うん、それだけのこと。
涙、涙の感動のフィナーレ・・・。な、訳は無い。
小、中、高、大、院。と、人生で既に5度目の卒業式を迎えた。
が、いつもの事ながら式典自体には全く何一つ興味が持てない私である。
「グローバルな視野を持った人間に・・・」「社会に出たらまずは忍耐力が要される・・・」「人生とは失敗の連続である・・・」
なんて別に長々と語る程のものかいね。
と、思ってしまう私がきっとヒネくれているのでしょう。
皆さん、式典には静粛に参加しましょう。
私だって式典中はそれこそ静かに・・・今まで寝なかった事が無い。
因みに私の周囲の女子学生達は「マジ超ダルイんだけどー」「お腹空いたぁ」を連呼していたし、綾の周りに座った男子学生軍は、「謝恩会まで何するよ」「ピンサロ行くか?卒業式だからソープもいいぜ」という話を延々としていたらしい。
先生。矢張り現代の若者には忍耐力を説く事が必要不可欠な様ですね。聞き入れるかどうかは別として。
その後の院の謝恩会は。法学研究科に限っては、教職員食堂にて立食パーティ。
一名自主退学した者を除いては、二十数名全員無事終了。
その中でも、私と年齢差二倍の友人のT氏は総代、二年前経営学修士号をも取得し(ダブルマスター)今年CPA(米国公認会計士)の資格を取ったO氏は当時、経営学の総代、刑事法専攻のK氏は学部時代の総代、と「総代」と名の付くものに全く縁の無い私であるが、同期には優秀な人が多かった。
K氏は昨日、某有名企業・希望部署への就職及び配属が無事決まり、決して自分からは目立とうとしない彼に代わって、まるで自分の事の様に皆に自慢していた私。
だって嬉しいよー。K氏には散々世話になったし、彼の人柄の良さ・能力の高さには本当に感心させられっ放しでしたから。寧ろ、尊敬。
尤も、悔しいのでそんな素振は彼には見せませんが(笑
それから大学院は指導教官で決まる。というのを肌身に感じた二年間でもあった。
入学当時はゼミ生が私一人、という境遇を不安に感じない事も無かったが、二年間の自由な研究生活はこの指導教授あってこそ。
心からの御礼を申上げたい。
(こんな場で言ってもどうしようもないが、一応ね)
知らずに他のトンデモ指導教官に付いた、不遇な同期の話を聞くにつれ、つくづくあの教授で良かったと思わずにいられない。適度に放任主義だったのが私には幸いしたし。
先生と二人でデジカメで画像を撮り捲り。
此処にUP出来ないのが残念無念。
その後の飲み会は史上最高の人数で。個人主義な院生同士で10人規模以上の飲みは、殆ど有得ない感じです。
其処で皆の今後の進路を一人ずつ発表して行ったり。驚きの進路もあり。
その年で親の脛齧って生きて行くのって、人間的にどうなんだろう・・・という私の苦手な30男が居るのだが、齧れるものなら骨の髄までも!という価値観の人だって居る訳だし、まぁ私にはどうでもいいや。
兎に角、私は今年中には自立、宣言をした。
流石に今年は25に成りますから。
それなりに、色々な人生を送って来て、挫折も苦労も味わって成人した者同士が、色々な希望を持って入学し、二年間専門の研究をし、また色々な希望を持って去って行く。
それだけのこと。
研究活動自体はどちらかと言うと辛い事の方が多かった気がする。けれど、自分の勉強不足を思い知らされたし、ライバルに刺激され、多少の弱点強化は図れた事と思うし、何より良い恩師と仲間に出逢えたこと。
楽しかったし、幸せだったなぁ。二年間。
うん、それだけのこと。
コメント