読書初め

2003年1月6日
と、いう言葉があるのかどうか知らないが、やるべき事は沢山あるのに、どうも何をする気にもなれない。そんな時はそう、活字に飢えている証拠だ。本棚の整理ついでに、2冊ほど読んだ。

山田詠美『放課後の音符(キイノート)』
中学、高校、そして今日と、これを読むのは三度目。昔は随分大人っぽい物語だなぁと思ったのを記憶しているが、今になって読むと、当時分からなかった事が違和感無く入り込む。
言葉は、お互いにとって必要な時もあれば、そうでない時もある。
そしてこの両方の時を共有出来る相手と巡り会うのは、そう容易いものでは無い。
恋に恋していたり、無理に背伸びする事を止めた時、見ようとしなくても自然と見えてくるものがある。
実際はそんなに綺麗なものでも、静かで穏やかなわけでもない。だけど、一生懸命に人を愛する事を知った人間は、きっと周りから見て誰よりも純粋で、素敵な生き物としての輝きを放つなんだろうな、と何だか甘くほろ苦い想いを感じさせた。まさにジントニック。

あとがきより
「・・・若いということは、はっきり言って無駄なことの連続です。けれど、無駄使いをしないと良い大人にはなれないのです。死にたいくらいの悲しい出来事も、後になってみれば、素晴らしき無駄使いの思い出として心の内に常備されるのです。・・・」


伊集院静『水の手帳』
この人も在日だった。思えば、今では街を歩いていても、普通に旅行しても、日本と何ら変わらない様相を呈しているかに見える韓国であるが、ほんの数年前までは、至る所で学生運動や反体制運動が行われ、機動隊が出動し、荒れに荒れていたのであった。
何人もの、何百人もの学生や、一般市民が犠牲になった。ソウルや光州の街は血の色に染まった。
自由を、真の民主主義を、勝ち取る為に命を懸けて闘った若者達の魂や夢は、今何処にあるんだろう。
彼等の求めた理想郷が、今の韓国に確として在るのだろうか。それとも夢は果てしなく遠いところへ散ってしまったのだろうか。
そんな事をふと思いながら、私も何時か妃手子の様に旅に出る日が来るかも知れない、という確信の如き思いが脳裏を過った。

「・・・ただ私は旅に出てわかったことがあるの。人間はどんなことをして生きてもそれがその人の意志で起こした行動なら、それは決して無為なことではないということなの。生きている人間がすることに無為なものは何ひとつないと思うの。どんな小さな流れも、いつか河になる気がするの」


本を読んですっきりしたところで、明日から学校。頑張ろう。

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