つぶやき
2002年6月3日田口ランディのコラムマガジンより。
・・・
ものすごく落ち込んだとき、とてつもなく嫌な言葉に触れたとき、自分が辛い体験でボロボロになっていじいじしちゃうとき、悲しいことが重なってどんよりしちゃうとき。
そういうときが人生にはままある。
いろんなふうにして、心には細かくて薄汚い澱がたまる。どうしても溜まっていく。
しょうがないことだ。そういうとき、自分の仕事、自分の役割に、片意地張るでもなく、威張るでもなく、それを楽しんで、ただもう誠実に、真っすぐに向きあっている人たち、そういう人たちに出会うと、言葉ではなく励まされる。私はそうだ。
自分の役割をまっとうしてる人は、きっと、ただ存在しているだけで、もう、それだけで、たくさんの人を支えているんだと思う。たぶん、その人は「労働」ではなくて「働き」をしてるんだろう。仕事は自分が「働き」という作用を担うための手段。このごろそんな風に思えるんだ。
・・・
この人の書くものは、いつも私が潜在的に欲している言葉や文章を送ってくれる。そんな気がしてしまうのは私だけじゃないだろう。
どんな人間は、当り前だけど神じゃない。
誰も救えない、自分一人でさえ持て余して毎日が苦しい、優しい人ほどそんなジレンマに陥ってしまいがちなのかも知れない。
でも肩肘張って生きようとしなくても、人は人によって影響を与え合って、支え合って、あるべき方向へ歩いて行ける。私も歩いて行きたいな。
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ものすごく落ち込んだとき、とてつもなく嫌な言葉に触れたとき、自分が辛い体験でボロボロになっていじいじしちゃうとき、悲しいことが重なってどんよりしちゃうとき。
そういうときが人生にはままある。
いろんなふうにして、心には細かくて薄汚い澱がたまる。どうしても溜まっていく。
しょうがないことだ。そういうとき、自分の仕事、自分の役割に、片意地張るでもなく、威張るでもなく、それを楽しんで、ただもう誠実に、真っすぐに向きあっている人たち、そういう人たちに出会うと、言葉ではなく励まされる。私はそうだ。
自分の役割をまっとうしてる人は、きっと、ただ存在しているだけで、もう、それだけで、たくさんの人を支えているんだと思う。たぶん、その人は「労働」ではなくて「働き」をしてるんだろう。仕事は自分が「働き」という作用を担うための手段。このごろそんな風に思えるんだ。
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この人の書くものは、いつも私が潜在的に欲している言葉や文章を送ってくれる。そんな気がしてしまうのは私だけじゃないだろう。
どんな人間は、当り前だけど神じゃない。
誰も救えない、自分一人でさえ持て余して毎日が苦しい、優しい人ほどそんなジレンマに陥ってしまいがちなのかも知れない。
でも肩肘張って生きようとしなくても、人は人によって影響を与え合って、支え合って、あるべき方向へ歩いて行ける。私も歩いて行きたいな。
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